明治に入って、普化宗が廃止され、虚無僧尺八が危機に瀕していたときに、 若干の先人が宗教のための楽器から大衆が楽しめる音楽のための楽器に 脱皮を計り、新しい発展の方向性が模索されました。このような流れの 中で、山口四郎師は初代川瀬順輔、三浦琴童から尺八を学び、その後 独特の境地を展開しました。

 大正8年から7年間にわたり大阪に在住し、琴古流を関西にも広める 努力をしました。その中で、大正10年(1921年)に竹盟社を興し、それを 主宰しました。当時の竹盟社には全国の43名の専門家が集ったという記録があります。

  山口四郎師は製管にも熱意を燃やし、ユニークな特色を持つ楽器を 作りました。今日でも竹盟社のメンバーのみならず尺八愛好家の間で貴重な楽器として 珍重されています。

  師は昭和38年78歳で逝去されましたが、ご子息の山口五郎師が 竹盟社の社主を継承され、発展しました。


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